川の流れ
江戸時代のいつ頃かに、四日市に三味線屋が出来た。
多くの旅人で賑わい、芸者さんもたくさん居たらしい。そんな町に三味線屋が出来たのは、需要があったのであろうし、至極当然のことだろう。
明治に入り、その三味線屋に、僕の曽祖父が丁稚奉公に入った。当時の三味線屋の3代目だった太平さんには子が無く、曽祖父が引き継ぐことになる。
曽祖父が引き継いだのは、おそらく明治30年過ぎではないかと推測している。祖父と、祖父の弟二人を残して30代で他界している。
明治43年生まれの祖父が二十歳過ぎの時、曽祖父が他界し、三味線屋を引き継いだらしい。
時代は昭和に入り、世の中も変わっていき、祖父は和楽器の他にギター、アコーディオン、ピアノ、オルガン、管楽器といった西洋楽器、そしてレコード盤、それを再生する蓄音機と、扱い品目を増やしていった。
昭和30年代、伯父が経営に加わり、40年代、僕の父が加わり、最盛期を迎えた我らが楽器店は三重県下に10店舗を構えることになる。
ただ、当時はうちの店が凄かったというより、日本全国、どこの、どんな小さな店でも儲かっていた時代だったのです。
昭和も終わりの頃、バブルで世の中が踊り、大型ショッピングモールが国内に乱立し始め、都市型の駅前商店街が急速に悪くなってきた頃、僕が後を引き継ぎます。
あれから30年と少し。当時はまだ商店街も見た目は元気が良く、週末には多くのお客さんで賑わっていましたが、バブルが弾けてからはブドウの実が房からこぼれるように一店舗ずつ閉店していき、今では商店街の体をなしていません。電気屋さんも本屋さんも、今では町の小さなお店では誰も来ないでしょうし、それ以外の業種でも、大型の店舗でないと太刀打ちできません。ネットで何でも買える時代ですしね。
川の流れは変えられないのと同じで、これはどうしようもないことでしょう。
今、その中で生き抜いて行く道を思案しています。
でも、決して悲観的に考えているのではないんですよ(^^)